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「歳をとる」ということ
2024年05月03日
拠点を沖縄本島中部宜野湾市に移して4ヶ月が過ぎました。
戦後大きな区画整理で大型スーパーやコンビニ、ファストフード店、公園も整備され、そのためか多くの若い世代が移り住み、まあまあ活気のある街に見えます。
塀越しの隣に大型スーパーがあることを良いことに、毎日のようにチョコチョコと買い物に出向きますが、最近自分が妙に歳をとったと実感します。
家内を見てもそうですが、どうも背中が曲がり、歩幅が小さくなって、ハタと気が付き、まるで「年寄り」のようだと思わず苦笑してしまいました。
いつものように小さな庭に出て泡盛をチビチビ飲っていたら、ははぁと思い当たりました。
島にいた頃は毎日のように同輩や先輩たちと会い、盛んな交流があって、その中ではいつも、昔ながらの「清ちゃん」の愛称で呼ばれていたことで、自分がもはや「年寄り」などということは敢えて感じなかったわけですが、ここ小都会の街では見知った人などなく、その上ほとんどが1~2世代若く、日々繰り返すうちに刷り込みが進み、我が「脳」までが感化され、知らずのうちに背中が曲がり、歩幅が小さくなり、トシヨリクサクなってしまったと、文化人類学的に分析してみました。
写真は先月島へ帰った時の実家に咲いたグラジオラスです。
Posted by 夢さん at 17:02│Comments(0)