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夢さん
てぃーだブログ › 7万人の足跡

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Posted by TI-DA at

百歳の褒賞

2024年10月02日










その日には少し早いですが、お袋さんの内閣総理大臣と県知事からの百歳を祝う褒賞の伝達式が入所中の施設でありました。
伝達者は村の新里村長。
私が区長時代、役場の総務課長として何かと世話になり、お袋さんも若い時からよく知っています。
幸いこのところ認知症の進行もやや治まり、本人は意味をよく理解したようです。
周りを取り囲み、手を叩いて祝ってくれる入所仲間の皆さんに、ありがとう、ありがとうと繰り返し頭を下げていました。
何よりも、村長から改めて、信子さん、おめでとうございます。もっともっと長生きして下さいねと言われ、「ありがとう、えみ子(嫁)のおかげでこんなに長生きできました。ありがとう」と返すと皆はちょっと驚き、そして温かい笑いが起きました。
身びいきながら、さすが我が母です。
  


Posted by 夢さん at 17:08Comments(0)

庭のゴーヤー

2024年09月22日













3ヶ月前、庭の草むしりをしていたら傍らで見ていた女房殿が、「清(せい)、それはダメ、ゴーヤーだよ」と言う。
よく見たら2ミリ程の茎に「それらしい」葉が3枚。4寸にも充たない丈のゴーヤーの赤ちゃん。どうやら根は敷き詰めたブロックの端ギリギリで手入れは難しそう。
辺りを見たらブロック塀の際にも同じような赤ちゃんが1本。
とにかく、朝夕の水遣りを欠かさず、声掛けも欠かさずに愛情を注ぎました(笑)
以来3ヶ月、雌花が咲いたら受粉を丁寧に繰り返し、これまでに15本ほどの実が採れました。
今現在も10個ほどの実が育っています。
  


Posted by 夢さん at 11:23Comments(0)

訃報。

2024年09月02日


昨夜、メールで訃報が届いた。
数年前、駒澤大学の教授を退官したM先生の奥様からである。
8月9日息を引き取られたと無念の思いが伝わる文面であった。
先生ご夫婦とは歳が近いこともあり、夢風亭で最も親しくお付き合いした一人である。
両手に数え切れぬほどの想い出がある。
渡嘉敷島のカフェ夢庵の立ち上げにも快くご支援を下さった。
コロナさえ無ければ、真っ先に駆けつけたであろう朋である。

昨夜は隣で寝ている女房に気づかれぬよう、独り啼いた。
やるせなく、苦しくて悲しい。

私より一歳若いM先生。
もう一度会いたかった。
旨い古酒杯を傾け、専門の歴史学の話しを肴にして…………。
合掌。
  


Posted by 夢さん at 14:30Comments(0)

面会

2024年07月31日





















2021年11月に那覇市在の老健施設へ入所した母の面会に出かけた。
今回は約1ヶ月ぶりて、少し懸念を抱きながらの面会である。
というのも、もうすぐ100歳を迎える母は、やはり多少認知の衰えが進んでいて、前回は私を息子だと判るまでに2~3分程要したからだ。

ところが私の心配を他所に、母は会ってすぐに「一人で来たの?、エミ子(嫁)は来ないの?」と、このところ毎度の「文句」を言ってきた。

小さな手を握り、「次は必ず一緒に来るから」と耳元で告げると、少し穏やかな表情(かお)に戻ったように………見えた。

写真は面会中絶え間なく襲う睡魔と闘い、眉を吊り上げる母の表情です


  


Posted by 夢さん at 18:16Comments(0)

想い出す

2024年07月18日






















あれは、夢風亭を新規開店して2年目、2005年。
少し遅い時間に30代半ばのカップルがカウンターの私の前に席を取った。
清潔な身なりの色白で良く話す旦那さん、華奢な顔立ちの奥様は時折相づちを打ちながらカウンターに肩ひじをかけ、品の良い笑顔を見せながら杯を重ねている。

熊本出身で高校を卒業後に上京し、懸命に理容の修業を積み、それこそ血の滲むような努力を続け、結果、20代半ばを過ぎる頃には業界の全国大会で優勝を射止めるほどになり、30代を迎える頃青山を本店として都内に4店舗を構え、スタッフ30人を擁する事業のオーナーになったとか。

大したものです。

しかし、、傍らの奥様のピッチが早いのが何となく気になりだした頃、急に彼女の表情が歪み、私と酒談義を語る彼の頬をパチンと音が聞こえるほど打ち始めた。
それは時々拳さえ混じえ5~6回ほどにもなり、呆然としていた私も流石に止めに入ったが、件の彼は右手を拡げて私を制止し、「マスター、良いんですよ、女房のやりたいようにさせて下さい、スミマセン」と小声で………。

酒が進みすぎたのか、奥様はほどなくカウンターに突っ伏して寝入った様子。

それから彼が問わず語りに話してくれたのは……。

上京して修業中、やはり九州の田舎から理容の世界に飛び込んだ彼女と出会い、所帯を持ったが、全てを犠牲にして修業に打ち込み、日本チャンピオンとしての講演や指導、スタッフの育成や経営そして新店舗の展開など超多忙な毎日を過ごす中家を空けることも多くなり、結婚を期に専業主婦となった彼女が塞ぎ込むようになったことは気が付きつつも、自分を中心に回る歯車を止めることもできず、30歳を目前に軽いうつ病と診断されたとか。

昨年、都内の支店を全てスタッフに譲り、本店の規模を縮小し、彼女と過ごす時間をなるべく取るようにしてるとか。
生活が落ち着いてきたので彼女の希望で、10年越しの新婚旅行に来ましたと。

そして、

マスター、だから心配しないで。
これくらいの痛み、何でもありません。
妻の気が少しでも晴れるなら……。

あれから18年。
最近、あのときの色白の青年夫婦のことをよく想い出す。
  


Posted by 夢さん at 17:19Comments(0)

主夫三昧

2024年07月05日

島を離れ、本島に居を移して半年が過ぎました。
連れ合いの不具合もあって、家事仕事の半分ほどを分担してましたが、ここ一ヶ月ほど前から炊事、洗濯、掃除、買い物とほぼ家事と言われるもの全般を引き受ける羽目になりました。
およそ50年余の現役生活では世の亭主族並に「手伝い」程度の加勢はしてましたが、ほぼ全てを引き受けるのは初めてです。
でも基本、嫌いではないのでさほど苦にはなりません。
ただ料理が、ちょっと悩みの種です。
刺し身を切るのと沖縄そばを造るのはまぁ出来ますが、塩分やその他の「制限食」は目下の悩みの種です。

なにせ、旨みは「塩」が要ですから。
今はこれが私の最大の「仕事」です。

ガンバリマス!
  


Posted by 夢さん at 19:49Comments(0)

お上の命令

2024年06月23日














今日、6月23日は沖縄県の慰霊の日です。
あの忌まわしい戦争の犠牲になった人々を慰霊する日です。

79年目の鎮魂。

私の母、信子の母親(私のおばあちゃん)は眼前で米兵に撃たれ、命を絶たれました。
傾斜を流れてきた母親の温かい血が、伏せていた信子の胸を濡らしたと幼い頃に聞きました。

沖縄戦では殆どの家庭が似たような悲惨な経験をしています。

しかし、戦後母親から身内を殺した米兵を恨んだり批判する言葉を聞いたことはありません。

戦争を「仕掛けた」お上の無慈悲と不正義を批判し、悪魔の所業を嘆き、戦前教育の不条理に悔しさを露わにする姿は幼い私の脳裏に焼き付いています。

実はオキナワの人たちは同じような目で「敵」の米兵たちさえも見ています。
彼たちも「お上」の命令に従わざるを得なかった若者なんだと。

ここに歴史に翻弄され続けられたオキナワ民族の本質があります。

ウクライナ、ガザ、ミャンマー、信子の嘆きが届けと祈ります。
  


Posted by 夢さん at 19:54Comments(0)

「歳をとる」ということ

2024年05月03日










拠点を沖縄本島中部宜野湾市に移して4ヶ月が過ぎました。
戦後大きな区画整理で大型スーパーやコンビニ、ファストフード店、公園も整備され、そのためか多くの若い世代が移り住み、まあまあ活気のある街に見えます。

塀越しの隣に大型スーパーがあることを良いことに、毎日のようにチョコチョコと買い物に出向きますが、最近自分が妙に歳をとったと実感します。
家内を見てもそうですが、どうも背中が曲がり、歩幅が小さくなって、ハタと気が付き、まるで「年寄り」のようだと思わず苦笑してしまいました。

いつものように小さな庭に出て泡盛をチビチビ飲っていたら、ははぁと思い当たりました。
島にいた頃は毎日のように同輩や先輩たちと会い、盛んな交流があって、その中ではいつも、昔ながらの「清ちゃん」の愛称で呼ばれていたことで、自分がもはや「年寄り」などということは敢えて感じなかったわけですが、ここ小都会の街では見知った人などなく、その上ほとんどが1~2世代若く、日々繰り返すうちに刷り込みが進み、我が「脳」までが感化され、知らずのうちに背中が曲がり、歩幅が小さくなり、トシヨリクサクなってしまったと、文化人類学的に分析してみました。

写真は先月島へ帰った時の実家に咲いたグラジオラスです。
  


Posted by 夢さん at 17:02Comments(0)

街で暮らすということ

2024年04月19日











隣にスーパーがあり、その向こう隣には日曜雑貨と園芸コーナーが併設された店舗が並び、更に200メーター圏内にはモスバーガーやファミマやローソン、そして緩い坂を上がると公園や役所、バス停がある。
日常の生活を営む分にはまぁ、便利っちゃ便利。
戦後大規模な区画整理をしたため道も広く、家並みも良く、朝夕の散歩に眺める家々の植栽はどこも手入れが行き届き、楽しい気分になる。
でも、何か物足りない。
年末、かなり慌ただしく島を離れてこの地に越して4ヶ月。未だ見知った人に会ったことがない。
ほぼ毎日のスーパーの店員も(余計なことを言うオジイの)私を殊更のように覚えようとしない。
モノタラナサは人との関わりが全く無いこと。
暮らしは一見便利だが、これでは苦ラシになりそう(゚∀゚)

写真は塀隣のスーパーと日曜雑貨の店

  


Posted by 夢さん at 17:01Comments(0)

島にて、独り言

2024年04月15日

夢庵を閉じ、仕事を辞めて4ヶ月が過ぎました。
所謂 社会的仕事 をこれほど長くブランクにしたことは初めてです。

連れ合いの事情があり、家を離れることはままならないので、街のアパートでは珍しい土のある庭に植えた花や野菜を育てながら、多くの時間を過ごしています。

考えようによっては、これまで随分急いだ人生だったので、、ちょっとした贅沢といえば贅沢かなと思います。

でも、これはどうにも居心地が良いとは言えないような、胸の辺りがムズムズとする毎日を送っています。

今日は2週間に一度の島への帰省日。
75年前にこの世に生を受けた実家の庭で一人チビチビ飲ってます。

私が家を離れるときは家内の妹が泊まりに来てくれるので心配はありません。

でも、それも2日が限度でなかなか実家の修繕がはかどりません。
まっ、時間はたっぷりあるのでよ~んなやります。

本意ではありませんでしたが、夢庵を離れたらもう一度大学で勉強したいと思ってましたが(僕は中途退学でしたので)、今はそれはちょっと現実的ではなくて、現状でできる実利のある仕事を見つけようと思ってます。

鏡を見るたび、老けたな~と思ったりしますが、鏡サエミナケレバ(老い)の自覚はありません。

渡嘉敷島は昨日から大雨で今日昼に着いた時も、屋根点検を予定していた午後も降り続いていました。
夕刻雨が上がって庭から問題の屋根瓦を見たら、どうやら(建築的には)何とか取り敢えずの修繕はできると閃きました。
当分、私の故郷基地の修繕保全に頑張ろうかなと思います。

あとはナンクルナイサーでいくかな?

ひとり酒、酔っぱらいの戯れ言でした。
  


Posted by 夢さん at 20:50Comments(0)

実家にて

2024年03月31日




















2週間ぶりに島に帰ってきました。今や雨漏りのする別荘になった実家が定宿です。当面というか、多分今年中はこの家を残しておきたいと思ってます。取り敢えず、雨漏り補修を沖縄の梅雨のシーズン、5月半ばまでにやろうと決めました。

カフェ夢庵は移住者の池松君に借りてもらい、名称をサニーコーラルとして再出発してます。
昼過ぎに寄りましたが外人さんのお客さんが結構いました。彼は英語ができるのでこれからその向きで繁盛するかもです。

渡嘉敷島は断続的に雨が降ってます。実家はテレビを取っ払ったので泡盛片手にサンシン三昧、というか独りを楽しんでます。つかの間。
  


Posted by 夢さん at 18:10Comments(0)

孫娘の挑戦

2024年03月11日










孫娘が大学入試受験に不合格となった。
幼い頃から勉強の苦手な3歳上の兄が母親に小言を浴びせられるのを尻目に、ちゃっかり成績を挙げるちょっとコマセな娘だった。

琉大医学部を受験して惜しくも壁に阻まれた。
母親である私の長女から、号泣して今は声をかけられないと電話があった。

当人には悪いが、十分予想した結果であった。

何しろ、国立医学部を目指すと決めたのは高校2年の夏。
それまでは看護学校が彼女の目標だった。

遅すぎるハードル上げだった。

担当教師や周囲の心配を他所に1年余、親に懇願して塾に通い、懸命な努力を重ねたが願いはひとまず叶わなかった。

今は、直接慰める言葉もないが、
でも、
彼女の挑戦に私は『あっぱれ!』を贈りたい。
人生初めての挫折とはいえ、まことに価値ある挑戦だと思う。
75年を生きてきた、自他様々な浮沈を観た私には「意味ある挫折亅と思える。

人生のゴールは遥かはるか先にあるのだから。

頑張れ、里花子!
  


Posted by 夢さん at 17:32Comments(0)

陽だまりでまどろむ猫

2024年02月12日









昨年師走の初旬、夢庵を閉じて年末に宜野湾市へ越し、取り敢えず山積みのダンボールから生活必需品だけを取り出し暮らしの体裁を整え、毎週末のように島へ取って返しこれまでの借家の整理や、島滞在中の寝床になる朽ちた実家の掃除、修繕などであっという間に2ヶ月が過ぎました。

今日やっと全て片付き、しばし午後のコーヒータイム。
庭に目を移すと実家に住み着いて2年になる愛ノラ猫がお昼寝の最中です。
今回は2週間ぶりの島帰りですが、普段は4軒隣の保健所の玄関先で過ごしているのですが、不思議に私が帰ってくると10分も経たず姿を見せてくれます。
滞在中は私の側を離れません。可愛いです。

さて、池松君に託した新生夢庵は準備も進んで3月から開店するようです。
開店時にはまたご報告致します。
  


Posted by 夢さん at 14:59Comments(0)

慌ただしい島帰り

2024年01月10日









借家の後片付けのため6日に島へ帰ってから4泊5日、夕刻まで独り黙々と雑多な荷物を整理し、どうにも捨てるに迷う物は狭い実家へ運び込み、お陰でベッドスペースを確保するだけで精一杯のかつての我が家で長い夜を過ごす数日でした。

テレビもラジオもない生活でしたが、私の帰りを待ち続ける二匹のノラが終始足元で遊び、庭にそこかしこと咲く花々を外灯の光で愛でながら泡盛をチビチビ飲り、サンシンを弾く。

都会で望んでも得難い時間でした。

色々な手続きがまだ残っているため来週また島へ帰ります。

夢庵は後を託した池松君がキッチンの改造を忙しくしてました。 
また報告します。
  


Posted by 夢さん at 11:53Comments(0)

島に戻ってます

2024年01月08日










遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
新年早々能登地方が大地震に見舞われ、正月気分は吹っ飛び、知人の安否を調べたり友人と支援の相談をしたりの数日でした。

年末の慌ただしい引っ越しでしたので借り家の後片付けのために6日から島に帰ってきました。
相当傷んだ実家を少し片付けて過ごしてます。

やはり、ここは良い!

テレビもラジオもない暮しの毎日で、夕刻帰ってからの時間はかなりキツイですが、この静寂も得難いもので泡盛片手に楽しんでます。

独り残した家内はちょっと気がかりですが、片付けは明日中かかりそうで、この贅沢な、やるせないほど静かな時間をあと2日続けたいとおもいます。

夢庵は後を託した池松君が開店準備に大わらわでした。

またその時ご報告します。
  


Posted by 夢さん at 18:58Comments(0)

後を継ぐ人ができました。

2023年12月26日











心ならずも島を離れ沖縄本島に戻ることになり、師走のせわしない中引っ越し作業に追われる日々ですが、カフェ食堂の後を任せる方が決まりました。

12月3日の閉店後2週間の間に5名の方から打診があり、面談を重ね、私の想いを理解し更に発展させてくれそうな人に後を託すことにしました。

池松君、広島県出身、52歳。

2011年2月、渡嘉敷島にご一家で移住し、現在は島の観光ガイドとして主に島の動植物を含む自然や史跡、古民俗の紹介などの分野で新しい観光のあり方を模索し、県の推奨、支援する 島あっちい=島歩き事業などに積極的に取り組んでいます。

独自のネットワークを持ち、私が区長時代、彼を通して受け入れた全国の若きボランティアの皆さんには随分お世話になりました。

私がカフェ夢庵で果たせなかった夢をもしかしたら彼が埋めてくれるのではと期待し、後を託すことにしました。

私は沖縄本島中部、宜野湾市に新住所を移しましたが色々な事後処理があるため、これから一年ほどは月に2度島に帰る生活になります。

年の瀬の忙しい時期、荷物を運び込んだ新居は未だ開けられないダンボールの山で落ち着きませんが、家内が元気を取り戻したことで今はホッとしています。
  


Posted by 夢さん at 17:30Comments(0)

久しぶりの実家

2023年12月17日













慌ただしい二週間でした。
3日の閉店から荷造ろいを始めて11日に第一陣の荷物を運び、15日に島に戻り明日第2陣の荷運びをする準備に追われました。

借家を今月中にも引き渡すため、大わらわで片付けをしますがどうにも始末に負えないので思案の挙げ句、実家を手入れして今日から取り敢えずの寝泊まりをすることにしました。

全然大丈夫です!

1人寝泊まりするのに何も問題はありません。
というか、ここは私の産まれて育った生家。
まことに居心地が良い。

多少の雨漏りは自然との融和と考え、取り敢えず彼(実家の建物)が悲鳴を挙げるまではお世話になろうと考えてます。

  


Posted by 夢さん at 17:45Comments(0)

戦い済んで

2023年12月04日









戦い済んで……一夜明ければ冷たい雨。

最終日の昨日は大変でした。
11時半のオープンと同時にお客様がどっと詰めかけ、15分ほどで満席になり、店の外で3組ほどのお客様が立ち待ちの状態が続きました。

2週間ほど前から閉店の張り紙をしてましたが、小さな集落で噂は広まっていたようです。
旨いそば、一度は食わねばと言って下さる先輩もいました。
まっ、お世辞でしょうけど。

定時の一時間前、午後2時に全ての食材が切れ、閉店となりました。

昼食堂が少なく、目立つ場所にあり、敷地が広く、テラススタイルで開放感に溢れ、手造り感に充ちたカフェ食堂は今まさに人々の認知を得たと思いました。

次、へのバトンタッチはそこを考えていきたいと思います。
やり残したこともあり、後ろ髪もいっぱい引かれますが、今は前に進まなければなりません。

夢風亭、夢庵の仲間たちや、私の想いを理解しエールを寄せてくれる多くの人達に感謝です。

まことにありがとうございました!
  


Posted by 夢さん at 15:01Comments(2)

営業最終日

2023年12月03日
















今日が夢庵としての営業最終日。
心配していた天気も時折太陽が顔を覗かせ、一安心です。


  


Posted by 夢さん at 10:47Comments(2)

沖縄本島への引っ越し

2023年11月30日

















本意ではないが、いろいろな事情が重なり島を離れ本島へ越すことになった。
8年前島で暮らす高齢の母を支え、できることなら私も故郷に骨を埋める想いで帰島したのだが、やはり叶わぬ希みだった。
二年前、母が体調を崩し那覇市の綜合病院へ緊急入院し退院後そのまま提携の老健施設へ入所し、時を同じく家内の腎臓が悪化し、昨年3月から自宅での透析治療を始めたが、毎月の通院治療にかなりの費用がかかることもさりながら、荒天時の船の欠航に心配は尽きず、このままの生活を続けることに大きな不安と危うさを覚える日々を送っていた。

そんな鬱々の中、離島の決断をしたのは、この夏の台風5号6号の襲来で家内と暮らす借家のトタン屋根が破損し一晩中家内に不安な思いをさせたことだった。

2年前、主の居なくなった実家は老朽化で修復も難しく、島は慢性の住宅不足で、転居も困難なことから今回の決断に至った次第。

とはいえ、あの時にこうすれば、ああすればという想いは胸の奥に去来し、まんじりとせぬ夜を過ごすこともある。


昨日新しい住いの契約のため那覇へ渡り、今帰島のため泊港のデッキでスマホを叩いている。
新しい住まいは宜野湾市普天間に隣接する市役所の近く。
悪の権化、普天間飛行場の飛行ルートから少しそれた場所にある。

折しも昨日屋久島沖にオスプレイが墜落したとのニュースが、大きく報道された。
京都の先生から、なぜわざわざ普天間近くに?とのご意見も頂戴したが、宜野湾地域に限らず沖縄本島に住めば危険はどこも同じとしばらく前から開き直ることにした。
その上引越し先は娘たちが住む場所に遠くなく、これがbetterな選択と思う。

これから忙しい日々が始まります。
とりわけ、夢庵の引き継ぎ手を探し、無事にバトンを継がなければなりません。
第5の人生、頑張ります!

  


Posted by 夢さん at 09:06Comments(0)